(財)都市技術センターの方の説明付で見学してきました。
「太閤下水」は豊臣秀吉の大阪 町づくりにともない、
道路整備と同時に建設された下水溝の事です。
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(大阪市の指定文化財)
大阪市政が発足した明治22年には総延長350km! もあり、
現在でも20km は現役の下水として使われています。
今回の見学場所は、船場を東へ出た南大江小学校。
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上町台地から西の大阪中心部へ向かって土地が低くなってるので、
船場の東の下水は東横堀へ、
船場の中の下水は西横堀へ 排水されるように造られてるそうです。
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(別名「背割下水」と言います)
下水でも雨水や生活排水も混合なのでほとんど臭いません。
数百年前の下水を現役で使ってる例は全国にもないそうです。
昔から太閤下水の名前はよく聞きつつもよく知らなかったので、
ええ勉強させてもらいました。